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自分で決めた夢は諦めたくなかった。 比嘉 悠司さん

2013年08月09日

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Dream Achievement INTERVIEW
夢実現インタビュー
vol.14 シェフパティシエ 比嘉 悠司

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interview

自分で決めた夢は諦めたくなかった。
パティシエとしてこれからも挑戦し続けたい。

高校時代から現在まで、パティシエの世界に入って約18年。下積み時代から第一線で活躍するパティシエになるまでの道のりを支えたのは「パティシエとして一人前になる」という決意とたくさんの出会いだった。次のステージに向って進み続ける比嘉悠司さんにルーツや未来について話を伺った。

パティシエの世界に入ったあのころは
逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。

今回インタビューしたのは、関西にある製菓の名店『菓子工房T.YOKOGAWA』でシェフパティシエとして活躍する中城村出身の比嘉悠司さん。取材当日はすっかり板についた関西弁と爽やかな笑顔で取材スタッフを出迎えてくれた。パティシエとして第一線で活躍する比嘉さんがケーキづくりの現場を初めて経験したのは高校生のとき。新しく製菓店をオープンさせるおじさんの手伝いを頼まれたことがきっかけだったという。「高校に入ってすぐのころ、部活やアルバイトをしていなかった僕におじさんから声がかかったんです。半ば強制的に始まった製菓店でのアルバイトは想像以上に多忙なものでした。当時、ケーキづくりを楽しいと思ったことは一度もありませんでしたね」。学校が終わってから夜中まで続くお店のオープン準備とケーキの仕込みの手伝いを繰り返す日々。「肉体的にも精神的にも追いつめられて、いつも逃げ出したいと思っていました。でも身内のお店のことなので逃げ出そうにも逃げ出せなくて(笑)」。当時は製菓店でのアルバイトが嫌で嫌で仕方なかったと話す比嘉さんがパティシエになることを志したのは一体なぜだったのだろうかー。

テレビ番組を偶然目にしたことが
パティシエを目指すきっかけに。

比嘉悠司_0272b「そのころ放送されていたテレビチャンピオンという番組を見てケーキづくりに対するイメージが変わりました。その番組は達人たちが技や技術を競い合うバラエティ番組なんですが、僕が観たのはパティシエがテーマの回。日本でトップクラスのパティシエたちが作りだすケーキとケーキづくりに対する姿勢を観て、一流のパティシエの世界はこんなにもクリエイティブなのかと驚きました。僕もそんなストイックな世界を活躍の舞台とするパティシエになりたいと思ったことを今でもよく覚えています」。そのときに番組内の対決で1位に輝いたのが、現在比嘉さんがシェフパティシエを務める製菓店『菓子工房T.YOKOGAWA』オーナーの横川哲也氏。比嘉さんがパティシエを志すきっかけとなった人物だ。テレビで観た憧れのパティシエと一緒に働くようになるまでには一体どのような巡り合わせがあったのだろうか。県内でも有数の進学校に通っていた比嘉さん。まずは高校時代の進学先選びからお話を伺ってみた。「高校入学当初は大学に進学しようと思っていましたが、4年もかけて何を学びたいか、何がしたいかが明確ではなかったので高校3年のときには大学進学を全く考えられなくなっていました。やりたいことが曖昧なまま大学に進学するよりも自分の興味のある分野に進んだ方がいいと思って。パティシエになるために、まずは学校で学んだほうがいいとおじさんにアドバイスされて専門学校への進学を検討し始めました。実は他にも興味がある分野があって、ぎりぎりまで悩みましたが、最終的にはパティシエになる道を選びました」。辻製菓専門学校への入学を決めたことが、横川氏との出会いを果たすきっかけとなる。

何かに追われているようだった修業時代。
パティシエに必要な技術は現場で身につけた。

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比嘉さんが決勝戦のテーマに選んだのは「道化師」。高さ120センチ、重さ20キロにも及ぶ大作だ。「道化師という古典的な題材にいかに新しいテイストを加えるかが課題でした」。

高校卒業後、大阪・あべの辻製菓専門学校に入学した比嘉さんの一日は、高校時代以上に苛酷なものだった。「夜間部に進学した僕は、偶然にも横川さんがシェフパティシエとして働く製菓店でアルバイトをすることになったんです。朝7時から17時半まで製菓店でのアルバイト、夜は学校での勉強と大阪での学生生活はとてもハードでした。土日は朝から晩まで勤務し、次の日の仕込みのために夜中まで働くこともありました。今思い返すとなぜあんな生活が続けられたのかわかりませんね(笑)。パティシエの世界は華やかに見えるかもしれませんが、実際は地道な作業の連続です。その積み重ねが芸術品のように美しいケーキに繋がっているんです」。多忙な毎日の連続にパティシエの仕事を一生続けられるのか不安だったと話す比嘉さんを支えたのは“一人前のパティシエになる”という想いと“コンクールでタイトルを取る”という目標だった。「最初に立てた目標を達成するまでは途中で逃げ出すことが悔しかったというか、自分でやると決めた以上、納得いくまでは頑張ろうという気持ちがありました。何かを変えてやろうという反骨心のようなものもありましたね」。県外の学校で学ぶと決めたときに両親から最後までやりきれと言われたことも比嘉さんを支えるエールとなった。沖縄を離れ、慣れない土地での生活のなかには、もちろん戸惑いもあったという。「職場の先輩から指示を出されても関西弁なうえに早口なので聞き取れなくて。もう一度聞き直すと何度も聞くなと怒鳴られました。指示が聞き取れなかったときは先輩が次にしようとしている作業は何なのか、何を求めているのかを先読みして行動するようにしました。あのころに仕事に対する自発的な姿勢が培われたんだと思います」。修業時代、目標とする先輩パティシエに出会ったことも比嘉さんの仕事に対する姿勢を形成した。「現場で段取りよく作業をする先輩の動く姿を見て、少しでも近づこうと先輩の動きをずっと観察して真似るようにして自分の技術を磨いていきました」。常に何かに追われているように毎日を過ごしていたという比嘉さんだが、沖縄が恋しくなったときは地元の友人によく電話をしていたそうだ。「かけ過ぎだと友達から突っ込まれるくらいよく電話をしていましたね(笑)」。

横川氏に導かれるように
兵庫県にある有名店に就職。

大阪で過ごした1年半の学生生活。流行の最先端である東京の製菓店に就職がしたいと考えていた比嘉さんは、卒業と同時にアルバイト先を退職し、一旦沖縄に帰ることにした。「大阪から沖縄に戻っていたときに突然横川さんから連絡があって。2、3日宿泊できる用意を持って大阪に出て来いと誘われたのですぐに大阪に出向きました。そして、そのときに連れて行かれた製菓店で働けと突然言われたんです(笑)」。その製菓店がどこにあるのかも分からなかった比嘉さん。調べてみると兵庫県にある有名製菓店だった。「そのお店で1ヶ月間働き、横川オーナーが次の新店をオープンさせるタイミングで今のお店に入り、現在に至ります」。比嘉さんの将来性を見込んだ横川さんが仕掛けた強行とも言える作戦に導かれるようにして比嘉さんは『菓子工房T.YOKOGAWA』でパティシエとして働き始めた。

27歳、パリの研修先で出会った
チョコレートの魅力

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14年使い続けている愛用の道具たち。真ん中はパリで購入したもの。「道具の微妙な曲がり方も作業に影響します。長年使ううちにどんどん手に馴染んでいくので、他の人の道具を借りると使いにくく感じますね」。

『菓子工房T.YOKOGAWA』で着々とパティシエとしての経験を積んでいた比嘉さんが新たなる目標と出会ったのは27 歳のとき。お店の研修でフランス・パリに約20日間滞在し、本場の洋菓子づくりを間近で体感したことでそれまで持っていたケーキづくりに対する考え方が変わったという。そして後に比嘉さんが、コンクールで日本一に輝くことになる“チョコレート細工”に出会ったのもこの研修のときだった。「その研修は日本人のショコラティエ(チョコレート職人)の方と一緒に行ったのですが、そのショコラティエから聞くチョコレートの魅力とパリで目にするチョコレート細工の美しさにどんどんと惹かれていきました。チョコレートはケーキと比べてとても繊細でデリケートなものです。室内の温度、湿度のバランスを調整しないと上手く扱うことができません。チョコレートの温度調節を行うテンパリングという作業があるんですが、これをやっているときはチョコレートが生き物のようで一緒に遊んでいるような感覚になるんです。全く同じように作業をしても毎回同じ仕上りになるとは限らない。自分がこんな風に仕上げたいと思ってもチョコレートが言うことを聞かないときだってある。チョコレートと触れ合う時間が長くなれば長くなるほど性質や扱い方が少しずつ分かってくる。そんなチョコレートの魅力にはまってショコラティエの道を極めたいと思うようになりました」。

コンクールに出場するが
最初は全く勝つことができなかった。

2011年、日本製菓業界のコンクール最高峰として知られる「トップ・オブ・パティシエ」のチョコレート部門で優勝を果たした比嘉さん。華々しいタイトルを獲得した比嘉さんが日本一になるまでの道のりは長く険しいものだった。「まずは大阪で開催される小さなコンクールから出場していったのですが、最初は全く勝つことができませんでした。『トップ・オブ・パティシエ』はそのころの僕にとって雲の上の存在のようなコンクールでした」。コンクールに出場しても納得のいく結果が残すことができなかったが「自分のスタイルは変えたくなかった」と話す比嘉さん。そんな比嘉さんを大きなステージへ引き上げるきっかけが訪れる。「知り合いのパティシエの方に関西のコンクールではなく、全国区のコンクールに出場した方がいいと助言していただいて、関東で開催される大会にシフトチェンジするようになりました」。比嘉さんの作風と関東で評価されるスタイルがマッチし、その後は大きなコンクールでも上位に名を連ねるようになったという。そして遂に2011年「トップ・オブ・パティシエ」では決勝戦進出を果たした。

5時間をかけてひとつの作品を
作り上げる体力と精神力。

決勝戦に駒を進めたのは比嘉さんを含む5人のパティシエ。約300人の観客が見守る中、5時間にも渡る戦いが繰り広げられた。チョコレートを用いたケーキの製作の技を競い合う決勝戦。比嘉さんは“絶対に勝てる”という自信を持って戦いに挑んだという。「決勝戦当日は、緊張することはありませんでした。コンクールは今までやってきたことのお披露目の場です。練習以上のことはできません。決勝戦までの4ヶ月間、誰よりも練習積んできたと自負がありましたので当日は開き直って、いつもと変わらず作業を進めていきました」。沖縄からお母さんも応援に駆けつけてくれた晴れの舞台。比嘉さんは優勝という最高の結果でコンクールを終えることができた。「僕が優勝できたのはお店で一緒に働く仲間や家族のサポートがあったからこそ。“コンクールでタイトルを取る”という夢を叶え、支えてくれたみんなに良い報告ができてほっとしました」。

次の舞台は沖縄。
今まで培ったことを故郷に還元したい。

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大勢のパティシエたちが所狭しと作業を行うキッチンはまるで戦場のような慌ただしさ。巧みな技とチームワークで色とりどりの美しいケーキが作られていた。

次なる比嘉さんの目標は沖縄で自分のお店をオープンさせること。「自分にしか作ることができないケーキを沖縄の人にも食べてもらいたいと思っています。地元沖縄でコンクールでタイトルを取れるパティシエを育てることも目標のひとつですね。今まで培ったネットワークを最大限に生かして、故郷に何かを還元ができればと思っています」。これからもパティシエの世界で挑戦を続ける比嘉さんに最後に沖縄の高校生に向けてメッセージを伺った。「失敗することは成功に近づくことです。僕は何度も失敗をして、遠回りもしました。そんな僕から言えることは失敗しても前に進むことが夢を叶える一番の近道だということです。だから叶えたい夢があるなら怖がらずに飛び込んでみてほしい。小さなことからでも行動に移ってみてほしいですね」。



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profil比嘉 悠司 Yuji Higa
シェフパティシエ
1979年生まれ。沖縄県中城村出身。大阪府在住。辻製菓専門学校卒業後、製菓店『菓子工房T.YOKOGAWA』に入社。2007年に同店のシェフパティシエに就任。洋菓子の製造・開発を行いながら2011年には日本で最も権威のあるパティシエコンクール「トップ・オブ・パティシエ」のチョコレート・ピエスモンテ&アルトルメ部門で見事優勝。現在は羽衣国際大学で講師を務めるなど人材育成にも力を注いでいる。

photo4「お客様に作りたてをお届けする」をモットーに最高の素材と最高の技法で作る洋菓子を提供する『菓子工房T.YOKOGAWA』ケーキのほか、焼き菓子やジャム、紅茶なども販売。取材当日も新鮮なケーキを求めるお客様が途絶えることがなかった。

菓子工房T.YOKOGAWA
住所/大阪府和泉市万町268-1
電話/0725-57-2888
営業時間/9:00〜18:00
http://www.t-yokogawa.com/

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