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「隠れたビジネスチャンスを見つける」それが日常だった学生時代

2014年07月25日

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Dream Achievement INTERVIEW
夢実現インタビュー
vol.17 「アフリカ起業家」 金城 拓真

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interview

どんなに大きな仕事をするときも
人と人との繋がりの大切さを忘れない

10年前にアフリカでビジネスを始めた金城拓真さん。
公務員を目指していた高校時代からは想像もできない環境に身を置きながら会社設立4年で年商は300億円に。
日本をはみ出し、海外に活路を見出した彼のルーツを辿った。

他人と価値観が違って当たり前。
受け入れることで見えてくるものがある

18歳で韓国の大学に留学し、大学在学中にアフリカで中古車販売のビジネスをスタート。25歳でニートを経験し、26歳で再び起業。20代にして年商300億の会社の社長に。キラキラとしたサクセスストーリーを思わせる彼の人生には、美しい物語では表現しきれない“サバイバル”とも言える出来事がたくさんあった。どんなに遠い異国の地にいても、どんなに大きなビジネスをしていても、変わることのない“沖縄出身の金城くん“。インタビュー後には清々しい気持ちにまでなった彼との会話の中には、人生を生き抜くヒントがたくさん詰まっていた。

公務員を目指していた学生時代。
日本がダメなら海外へ

夢実現01_0083「アフリカ起業家」「年商300億」「50社以上の会社を経営する社長」。誰もが身構えてしまいそうになる肩書きに反して、やわらかな物腰で取材現場に現れた金城さん。北谷町で生まれ、学生時代は“消極的な人間だった”という彼が、なぜアフリカで会社を興し、アフリカ・ビジネスの第一人者とまで言われるようになったのか。
はやる気持ちを抑えながらお話を伺った。
「学生時代の僕の夢は公務員になることでした。僕の父が公務員で、平日16時半には家に帰ってきて週末は必ず休み。そんな姿を見て“公務員”はなんて素晴しい職業なんだと(笑)。高い志があったわけではなく、定時に家に帰れるからという理由で公務員になりたいと思っていました」。公務員を目指して、大学進学を考えていた高校時代。スムーズに進学先が決まらなかったことが金城さんの人生に大きく影響する。「琉球大学を受験しましたが不合格。沖縄県内のそのほかの大学には希望する学部がなかったので、内地の大学を検討しようかと思いましたが、経済的に厳しいと両親に言われて。高校卒業後は1年間浪人をし、浪人中に安い学費で行ける海外の大学にも目を向け始めたんです。“目を向けた”と言うととてもカッコ良く聞こえますが、安い学費で僕の学力でも入れる海外の大学を探したというほうが正しいですね(笑)」。
英語ができる友人に翻訳してもらいながら、インターネットで日本人留学生を受け入れている学校を探し、その後入学することとなる韓国の大学に辿り着いた。「当時は韓国語で自分の名前すら書けなくて、大学入学前に入る附属の語学学校の入学試験はローマ字で名前を書いて、あとは白紙で提出したほどでした。語学力ゼロで僕の韓国での留学生活が始まりましたが、実際に苦労したのは日本語でのコミュニケーションだったんです! 内地から留学している日本人に沖縄の方言が通じず、まずは日本語を勉強しました(笑)。僕には韓国語の勉強の前に日本語の勉強が必要だったんです」。

海外での一人暮らしを経験したことで
どこででも生きていける自信がついた

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1年のほとんどをアフリカで過ごす金城さん。今回の取材は貴重な日本滞在中に東京にて行った。「メディアの取材を受けたり、商談や講演会で日本各地に足を運んだり。アフリカでも日本でも何かしら動いているので、飛行機の移動中がお休みタイムといったかんじ。沖縄にもゆっくり帰りたいですね」

大学では寮で生活をしていた金城さん。のちにビジネスパートナーとなる友達は、寮で出会った仲間だったという。「うちの大学には東南アジアやアフリカからの留学生が多く、ほとんどの留学生が寮で生活をしていたので、大学時代はそういった発展途上国出身の友人と過ごすことが多かったですね。寮には2年ほど居ましたが、実は寮生活が嫌で一人暮らしを始めたんです。理由はふたつ。朝の礼拝が苦痛だったこと、そして、寮の食事がとてつもなくまずかったことなんです。まずいのではなく“とてつもなく”まずかったんですよ(笑)。ある日食事を作ってくれる寮のおばちゃんが庭で草むしりをしていて『おばちゃんえらいな〜』と思っていたんですが、その日の夕食に庭で刈った雑草で作ったキムチが出てきたんです。びっくりですよね(笑)」。
まずい食事から逃れるようにして韓国での一人暮らしがスタート。このことも金城さんの人生でプラスに転じた出来事だった。物件探しからインターネットやガス会社との契約、毎日の買い出しなど、全て自分でやらなければならない環境に置かれたことで、生活力が格段に上がったという。「今までどれだけ守られた生活をしていたのかと思いました。僕の語学力でも海外で一人暮らしができるのだから世界のどこへ行っても生きていけるとかなり自信がつきました」。
留学生たちの溜まり場となっていた金城さんの自宅では、毎日のように“どうしたらお金が稼げるか”という話が話題に上っていたという。「東南アジアやアフリカ出身の人はとにかく商売っけが強くて、自分で稼いだお金を学費に充てている奴もたくさんいました。当時の韓国は物価が高く、学生が1時間アルバイトをして稼げるお金はビックマックひとつ分の値段にも満たないほど。自分で何かをしてお金を稼がないと生きていけないと友達とよく話をしていました。僕が最初に始めたビジネスもいつもの会話の流れから始まったという感じでした」。
人生の分岐点となったその日の夜。自宅に集まるメンバーといつものように食事をしていたときにグルジア人の友達が『今日はおごる』と言い出した。理由を聞いてみると『韓国車をグルジアで売る手伝いをして小遣いをもらった』ということだった。『アンゴラに輸出すればもっと儲かるよ!』、その場にいたアンゴラ人の話から、金城さんは日本人の留学生とアンゴラ人の兄弟の4人で中古の韓国車を6台購入し、アンゴラに向けた中古車販売の仕事をスタートさせた。「車を買うために1人25万円ずつ出し合って最初に投じたお金は100万円。僕は手元にあった学費を流用しました(笑)。車が順調に売れて、学費はすぐに回収できると思っていたんです。そのくらい当時は“ビジネスをする“という感覚はありませんでした」。大学生の“ノリ”で始まったと言えるビジネスは結果的に成功を収めることになる。3か月後には利益が350万円になり、最終的には約3,000万円が手元に残ったのだ。

大学時代に大成功した中古車販売業。
25歳でニートを経験し、再び社長に

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起業当初に現地スタッフと撮った1枚。「懐かしいロン毛時代です(笑)。アフリカで10年事業をやっていて、仕事の幅が広がるというよりもどんどんと深まっていく感覚があります。交渉相手の気持ちが何年後かに理解できたりすることもあって、全て繋がっているんだなと感じます」

ビジネスで成功し、優雅な大学生活を送りながらも卒業後は公務員になろうと考えていた金城さん。卒業論文の作成に取りかかるも仕事の多忙さゆえ、韓国と日本の行き来が面倒になり卒業を諦めてしまう。「就職できなくてもなんくるないさ〜と思って、沖縄に戻り1年間は無職で過ごしました。25歳でニート…。さすがにヤバイと思って、26歳のときに大学時代にビジネスを一緒にやっていた日本人の友達を誘い、再び中古車販売業で起業しました。その友達は現在、僕の会社の全ての業務を統括してくれている副社長です。彼は英語・韓国語・フランス語・スペイン語・スワヒリ語など、8カ国語を話せる超エリート。素晴らしい仲間との出会いが今のビジネスに繋がっています。海外で仕事をしていると言うと英語がペラペラとか思われますが、実は僕、日本語以外は話せないんですよ(笑)」。気負うことなくありのままを語りながら、自身のその後について話を続けてくれた。「二度目のビジネスの舞台に選んだのはタンザニア。日本車が持ち込めて、同業の競争相手が少なかった国がタンザニアだったんです。学生時代の成功体験があるので、タンザニアでもすぐに車が売れると思っていました。でも実際は全く売れなかった! 地道に営業活動をしていましたが、手元の現金は日に日に減るばかり。ついに残金が4万円になって帰国する航空チケットさえ買えない状態に…。残金がゼロになったら難民申請をしようと思っていたほどでした。あのときが今までの人生の中で一番辛かった時期ですね」。強制送還ギリギリの生活を送っていた金城さんに救いの手が差し伸べられたのはそのあとすぐのことだった。「僕が加入していた保険会社の人が、現地の知り合いに僕たちのことを紹介してくれて、そこから一気にすべての車が売れたんです。心からほっとしました。売れなかった原因は僕たちに信用がなかったことだったんです。それからは顧客が顧客を呼び、順調に売り上げを伸ばしていきました」。

どんな仕事をしていても結局は人と人。
そのことを忘れずにいたい

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「新しい国や分野に進出するときはまず聞き込み調査を行います。新しい価値観や常識に出会えるこの聞き込み調査が、ビジネスをやっていて一番楽しいとき。知らなかった文化や情報に触れられるので面白いです」

現在はアフリカの8つの国にオフィスを持ち、運送業者・建築業者・広告代理店・経営コンサルティング会社・不動産会社・ホテル経営など、グループ内の業種は多岐にわたる。「バラバラに思えますが、それぞれの繋がりを持って設立した会社ばかりです。ビジネスというのはグラデーションのようになっていて、関係のない業種はないように思います。少し重なっている部分を見つけてそこから派生させてビジネスでビジネスを生む。そうやって業種の幅が広がっていきました」。
アフリカでビジネスを展開するときに、日本のような先進国との違いを感じることはどんなところなのだろうか。「日本でビジネスをしたことがないのでわかりませんが、例えば仕事を進めるにあたり、何社かから見積りを取るとします。先進国であれば、金額や会社の業績など条件が良い会社を選ぶと思いますが、僕たちはそうではなく、やり取りの中で人間的に繋がりが深くなった会社を選びます。それが結局のところ一番うまくいく。大企業であろうがなんであろうが、担当者とどれだけ時間を共有できたのかが問われるんです。人との繋がりを大切にするところは沖縄の人にも通じるところがあると思います。ビジネスだからといって、肩肘を張らずに、身近な友達を思いやる。そんな感覚がとても大切なように感じます。結局は生身の人間と人間が仕事をしている。そのことを忘れて地位や肩書きだけで人を見ると侮ったり、逆に緊張してしまったりするのだと思いますね。僕は学生の頃にやった初期投資25万円のビジネスのときも何十億を動かす大きなビジネスのときも、生身の人間と仕事をしているという感覚は変わっていませんし、その感覚と『背伸びをしないこと』『卑屈にならないこと』をビジネスを続けるうえでこれからも大切にしていきたいと思っています」。

小さなことでも“一生懸命”やっていれば
必ず助けてくれる人が現れる

沖縄の高校生に『金城さんのように成功するにはどうすればいいですか?』と質問されたらどのように答えるのかを伺ってみた。「勉強でもスポーツでも“一生懸命やること”が大切だと思います。一生懸命やっている人を見ると、周りはみんなその人を助けたくなるんですよね。実はそれが重要で、周りに助けてもらいながらやっている人が一番の成功者なのだと僕は思っています。だからひと目に付かない裏方の作業であれ、受験勉強であれ、一生懸命に取組むこと。そこから必ず道は開けると思います」。

人生は知らない場所に飛び込むことの連続。
その延長線上に自分の人生がある

「僕は小学2年生のときに転校を経験したんですが、それまで一緒に育った幼なじみと離れ、いきなり知らない場所で生活することになりました。高校のときも地元から離れた高校へ、そして大学は韓国、社会人になってからはアフリカと知らない場所に飛び込むことばかりでした。人生というのは、そうした全く知らない場所や人との出会いの連続です。自分が進みたいところへ勇気を持って踏み出すこと。その決断の延長線上に自分の人生があるのだと思います」。

profile

夢実現01_0264金城 拓真 Takuma Kinjo
アフリカ起業家
1981年沖縄県北谷町生まれ。普天間高等学校出身。津梁貿易株式会社 代表取締役。大学在学中に起業し、現在はアフリカの8カ国にて中古車販売・運送・広告・レストラン経営・コンサルティング会社などの約50社経営。日本における「アフリカ・ビジネスの第一人者」として、アフリカで精力的に事業を展開している。

2,000人の従業員を抱える津梁貿易株式会社で働くスタッフの約7割はスラム出身。「現地スタッフが働く場所に求めるものは、高い給料よりも雇い主との信頼関係です。僕の会社がここまで大きくなったのは、スタッフとの家族のような絆を大切にしているから。スタッフと強く繋がるビジネススタイルを貫いて、将来的にはアフリカ全土でビジネスをやりたいと思っています」

夢実現03_coverこれを読めば世界へ飛び出す勇気が湧いてくる!?
アフリカでのビジネスや生活の様子を綴った
金城さんの著書が発売中!
世界へはみ出すー日本でダメなら、海外へ行く。
著者:金城 拓真
定価:1,200円
発行:株式会社ディスカバー・トゥエンティワン